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陶酔型と覚醒型
「作家には陶酔型と覚醒型がいる」
そんなことばを今週から電車の中で再読しはじめた文庫本の解説にみつけました。作家自身が物語の中に入りこみ酔えるタイプと、常に物語を外から眺めるタイプ。解説を執筆された方(この方も作家さんです)は、そんな持論をそこで展開されています。4年ぶりぐらいにこの解説を拝読しながら、僕は深く深く頷いてしまいました。
もちろんこれは作品を通して、という意味で書かれたことばですが、僕たち読者は小説作品を読むことで、これを書いた作家さんはこんな人柄なんだろうなと(勝手にある程度)想像もできます。できるはずです。はい、文は人なりなのです。で、きのうから僕は、お会いしたこともない(でも作品を拝読したことはある)作家さんまでも含めて、この人は典型的な陶酔型だとか、この人は覚醒型かもしれないとか身勝手に分類させていただいてます。僕が分類したからといって何がどうなることもないので、ご安心ください。
ちなみに、きのうから僕の鞄に入ってる文庫本というのは(7年ぶりになる長編小説『5』を刊行されたばかりの!)佐藤正午さんの『カップルズ』で、解説を書かれているのは奥田英朗さんです。この解説にもある通り、おふたりとも覚醒型の作家だと思われます。
さて。いつもの通りここから話は飛びます。でもフェイントです。飛んだように見せかけてうまく着地いたします。着地してみせます。
ではゆきますよ。
きのうの昼休みに購入した7年ぶりの長編新刊『5』を家に持ち帰る(しつこいですね)、ゆうべの帰宅途中のことです。コンビニに寄った僕は、レジの横に置いてあるチラシに気づきました。「恵方寿司」のチラシです。2月3日の節分の夜に、恵方(今年は北北西らしいですよっ)にむかってその太巻き(恵方巻き)を黙って丸かぶりすれば、その年は幸運になる、という関西方面で発祥したあの風習です(ああ、何だかお腹も減ってきました)。
いつのまにかもうそんな季節なのですね。年じゅう正月気分の(いやクリスマス気分でも夏休み気分でも別に何でもいいんですが)僕は、ちょっと焦りました。今年のカレンダーも1枚目が早くもめくられる(簡単に言えば2月になる)ということです。
で、僕が焦ったのには理由があります。その太巻きにかぶりつく人はかぶりついたりする今週末の2月3日(土)には、忘れてはならない映画が公開されるのです。
墨 攻 (ぼっこう)
出演/アンディ・ラウ アン・ソンギ ワン・チーウェン ファン・ビンビン
原作/漫画「墨攻」森秀樹(原作小説:酒見賢一/漫画脚本:久保田千太郎)小学館刊
監督・脚本/ジェイコブ・チャン
2006年/中国・日本・香港・韓国
舞台は2300年前の中国、出演する俳優陣はアジアのトップスターばかり。その中で原作は日本で1992年から連載がスタートしたコミックになっています。このコミックが単行本となり、その人気は国内に留まらず、海を越え、アジア各国でも愛読され、各国のパワーを結集した大作映画となって国内に帰ってきたという、ともかく壮大なスケールの映画なのです。何しろ昨年11月、ワールドプレミアが北京で行なわれたというのですから、学生時代「我是~」とか言いながら中国語の単位を揃えるのに四苦八苦していた僕にとってはスケールが大きすぎるくらいの作品なのです。
物語は、アンディ・ラウさん演じる革離という主人公を中心に描かれています。戦乱の時代にありながら、侵略を否定し、攻撃せずに守り抜くという姿勢の主人公がとても魅力的です。またひとつの城をめぐって、革離を中心としたさまざまな人間ドラマも交錯してゆきます。
いつもの通り、ここで映画の内容を詳しく述べることは避けますが、広大な土地で大勢のエキストラを動員して撮影された戦闘シーンなどはすごい迫力です(僕も試写会で観ました)。
それで、僕が何でこの映画の公開(2月3日)を忘れてはならないのか、というところに話は結びつきます。それは、この映画のノベライズ版の編集に携わっていたからです。
山本甲士 著
四六判/256頁
1,470円(税込)
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問答無用の面白さがこの作品にはあります。読者を知らず知らずのうちに、春秋戦国時代の戦地の渦中に文章だけで引き込んでゆくチカラのある作品です。
今回、執筆いただいたのは、以前ノベライズ作品『ALWAYS 三丁目の夕日』(小学館文庫)でも筆をふるっていただいた山本甲士さんです。
ノベライズ作品となりますと、映画の脚本や原作コミックなどであらかじめストーリーや設定が(ある程度)決まっているわけですが、その中での執筆というのはオリジナル作品とはまた異なる難しさが潜んでいたように思います。そのはずです。
そこでの山本さんの小説的技巧(というか工夫)を、ひとつだけこっそり書いてしまいます。原稿を拝読していて気づいたことなんですが、こっそりなんで誰にも言わないでください。
この小説作品では、原作コミックや映画で主人公として描かれている革離の視点からは何も語られていません。何も語られていないのですが、その主人公をとりまく人物(敵国の将や、革離が守ろうとする小国の住民ら)の目を通して、謎めいた(しかし魅力的な)主人公・革離の人物像が読み進めるうちに、すっと浮かび上がってくるのです。主人公の周辺にあえて視点人物を置くことで、僕たち読者はあたかも主人公と対面し、そしてあたかも主人公の性格などが少しずつわかってゆくという気分になります。なるはずです。この工夫は小説だからこそ可能ではないのか、そんなふうにさえ思えます。
まあそういった作り手側の事情はともかく、みなさま読んでみてください!
出来上がったばかりのこの本を山本さんのもとにお届けしたとき、僕の目の前で作家はこう言いました。「ノベライズを書くときは映画に負けないものにしたいと思ってる」と。つまりそこには「常に物語を外から眺める」必要があるわけです。
そんな山本甲士さんもまた覚醒型の作家さんだと僕は思います。
そういうわけで、うまく着地したと自分では納得していますし、時間も時間となりましたのできょうはこのへんで失礼させていただきます。終電でまた15ページ進みます。
投稿者 シオールン : 2007年01月30日 23:59


